SPEEDEMONの活動記

主にクルマ(愛車は初代VMGレヴォーグGT-S D型)にまつわる出来事を中心に綴りますが、私生活の出来事も動画UPや、一個人の感想を交えて語ります。

鑑真さんの存在は「偉大」と知りました!

ちょっとご無沙汰です。
SPEEDEMONです。


昨日は誕生日休暇で会社を休み、
鹿児島県の薩摩半島南西に位置する
国道(酷道)巡りにレヴォーグと走ってました。


その道は国道226号線で
鹿児島市から南さつま市を
指宿市経由で結ぶ国道です。


そのルートで
枕崎(地図下側)から左側向きに北上し
南さつま市終点に向けて走りました。
詳細はこれ👇です

枕崎市までを
鹿児島市から左斜めの方向でショートカットし
自宅から50㌔ほどで枕崎市に繋がる道路で流し、
本チャンは薄い青線のルート=国道226号線です。


矢印が指す地形は入り組んでおり
海が見えたり見えなかったりの国道ですが、
風光明媚な道路です。


しかし、この国道は
車線幅員が減少する「酷道」です。


約2年前にこの路を初めて走った時に
余りの狭さに泣きそうになりながら
走ったことを今でも憶えており、
それでも「また走りたい!」焦燥に駆られ、
昨日に走りました!


そんな酷道の道中に
「鑑真記念館」という偉人に纏わる建物があることを
前回走った時に知り、
今回の走行途中に是非立ち寄りたい!
という思いもあり、走ってました!


その写真はこちら👇

ここを訪れるまで鑑真さんとは、
「渡航に幾度と失敗して失明した後に
日本に渡った」程度で、
学校の日本史を勉強した
浅い認識がありませんでした。


しかしこの鑑真さんの功績は
とても素晴らしく、
現代日本の礎の1つを築かれた
数少ない偉人と知り、
衝撃を受けました!!
しかし、彼の人生は波乱万丈でした。


館内は一部を除き撮影禁止のため、
動画撮影はしませんでした。
詳細を話すと長くなるので橋折りますが、
このままお読み頂けると幸いです。


【鑑真とは】
鑑真は14歳で寺の修行僧として入門し
18歳で道岸から菩薩戒を受け
20歳にして長安に入るという仏教界の
スーパーエリートです。


それでいて人徳も素晴らしいため
「唐(当時の中国国名)の至宝」
と云われたほど、高尚な方です。


しかしその当時(奈良時代)、
日本の仏教界は荒れ果てており
見るに見兼ねた天皇が遣唐使を通して
日本への渡来依頼を唐に託したけど、
どの高僧からも頑なに断られ、
鑑真さんも最初は断ったけど
弟子にも渡航希望を募ったけど誰も手を挙げず、
「それなら私が行きましょう」
という経緯で日本に渡る決意をされたのです。


渡航失敗すること5回。
そのうち3回は密航を弟子にリークされて捕まり、
2回は航海中の荒波で難破したり、
嵐で遥か南(2000㌔)まで流されたための失敗。
当時の船なんて、現代からは考えられないほど
お粗末な造りをしていた筈で、
その上、東シナ海の荒波に耐え得る代物でないだろうから
相当な決心と覚悟の上で
日本に向かわれたと思うと
頭が下がります。


渡航計画から12年目の6回目で
坊津町(今の南さつま市)に漂着したわけですが、
渡航前から既に失明し、五体満足でない身にしてでも
「日本を救いたい」という気概には
ただただ敬服するばかりです。


当然VIP級の要人のため、
朝廷からも一目を置かれたわけですが、
御本人は荒れ果てた仏教の立て直しの他に
彫刻や薬草にも精通されていたので
その知識を惜しみなく伝授し、
唐招提寺建立にも尽力を尽くした
日本の一大事の救世主だったことを
この記念館で初めて知りました。


記念館の案内人さんからも
鑑真の生涯や、この地域のことも
丁寧に詳しく話を拝聴でき
とても有意義な時間を過ごせました。
また、行きたくなりました。

記念館で頂いた小冊子と入場券です。


それと、この風光明媚な場所の近くに
もうひとつの目玉があります!
それは・・・


長くなったので
今回はここまでとします。
続きは次回に綴ります。
ヒント:有名な海外映画のロケ地


よろしくど~ぞ!