SPEEDEMONの活動記

主にクルマ(愛車は初代VMGレヴォーグGT-S D型)にまつわる出来事を中心に綴りますが、私生活の出来事も動画UPや、一個人の感想を交えて語ります。

長崎への車中泊での旅㉖4日目-島原といえばやはりココ!

(昨日の続き)


島原・・・
ここも昔から現代まで有名な場所が点在し、
今もなお、観光客が途絶えない人気の地域です。
28年前に雲仙普賢岳の噴火による火砕流が発生し、
恐ろしい自然災害の記憶も未だ新しく、忘れることが出来ません。
当時のまま今も残る生々しい跡地見学や、雲仙の温泉巡り、
地元の電車=島原鉄道に乗車などなど見処満載で、迷った挙げ句、
ココにしました!↓

やっぱり島原城です!
小学生時に写真でしか見たことが無く、
いつか見学したいと思った名所です。
朝早く到着し、駐車スペースに余裕があったので好きな場所に停めました!

お城の真下に駐車できるというのも良いですね!
こんなことが出来る城は他所にあるのでしょうかね?


築城されておよそ400年を経過する城ということになっておりますが、
廃城令で一度は姿形も無くなったけど、
復元されておよそ5~60年を経過する城です。
私は城についても詳しくなく、他の城との比較を評論できないけど、
島原城も他所に引けを取らない立派なお城だと、
実際間近で見て素直に思いました。
日光に当たると城壁の白さが際立ち、瓦の美しさが輝きを増し、
とても綺麗なお城です
見惚れてしまうほど美しい島原城とは裏腹で、築城過程でその昔、
とても悲しい出来事が起ったことを、
城内見学で初めて知りました。


そうです!学校の歴史で教わった、
『島原の乱』にも深く関わっています。
詳しく説明すると長くなるので、要点だけを伝えます。


当時の島原藩城主はキリスト教に寛容で、
藩内には数多くのキリスト信者がいたけど、
キリスト布教を恐れた幕府からの弾圧と、
島原城築城で莫大な資金が必要となり、
藩内に餓死者が続出するほどの過酷な年貢を課し、
見るに見かね、業を煮やした島原藩民が決起した出来事が
『島原の乱』です。
なかでも有名なのが、当時16歳だった『天草四郎』です。


ここまでは学校で勉強したことでなんとなく憶えましたが、
更に悲惨な出来事が続きます。


結局幕府側が数ヶ月掛けて乱を沈静化させたものの、
島原の乱に参加した反幕府側本人だけでなく、
反乱に関わった本人の一族までもが雲仙の地獄谷にしょっ引かれた後、
一人残らず突き落とし、または自発的に飛び降りさせ、
キリシタンに関係する者全てを徹底粛清する蛮行があったことです!
その数、2万数千人に及ぶというから恐ろしい!
今でも日本に近いあの国で平然と行われていると思うと、
ゾッとします!
この出来事は、この当時海外にも伝わって衝撃的な事件として
話題になったそうです。


そのため当時の島原藩の人口が激減し、
近隣の藩から移住を受け入れて藩としての体裁を保ちつつ現代に至るため、
今の島原には当時のキリシタン末裔がいない。
まさに根絶という言葉がシックリです。


そんな凄惨な出来事の舞台となったこの島原城。
今の城は400年前の築城当時とは違うことは解っていても、
城内に入ると、築城に至る過程や、
島原の乱の経緯にまつわる資料が数多く展示され、
築城が当時の藩民のために良くなかったこと、
今、その人達の苦しみの上に自分がココにいると思うと、
胸中が複雑で後味が悪くなりました・・・


かといって、感傷的になって帰りたくないので、
入城したら当然目指すは天守閣で、無論行きました!

島原の乱の詳細を知って気落ち気味だったけど、
天守閣から景色は雲仙普賢岳も視界に入り、とても気持ち良く、
四方を一巡して島原市内をしばらく眺めました。


眺め終えると下城後はちょっと休憩し、城を後にしました。


島原城に来て本当に良かった!
あの眺望は、古で多くの人を巻き込んだ上で成り立つ城と知り
歴史の重さを痛いほど感じた意義深い見学でした。


(続きは後日)
よろしくど~ぞ!